袖のボタンがある意味は?
わたしがスーツに興味を持ち始めた20歳前後のころは、スーツの色やシルエットなどのトレンドにばかり興味が行き、1つ1つのディテールにどのような意味があるかは全く関心がありませんでした。
そのため、ジャケットの袖口に付いたボタンにも興味がなく、”漫然と並んでいる3つか4つのボタン”程度の認識だった気がします。ちなみにこの袖に付いたボタンを「飾りボタン」と言います。
それから少しして、初めてカスタムメイド(オーダー)でスーツを作る際に「本切羽(ほんせっぱ)」と「開き見せ(あきみせ)」の存在を知り、衝撃を受けました。「何これ!めちゃくちゃかっこいい!」
……それ以来、本切羽教の信者になったわたしは、「オーダー=本切羽」という偏った認識を持つようになり、その後当たり前のように並び始めた「既製スーツなのに本切羽」がしばらく許せない時期がありました……。
ところで、袖ボタンの「本切羽」と「開き見せ」というディテールの違いがわかるでしょうか。わたしが「オーダー=本切羽」と認識していたように、以前の既製スーツの袖ボタンは開き見せが当たり前でした。
そこで今回は、本切羽と開き見せの違い、そして袖ボタンは本切羽と開き見せで価値が変わるのかなどについてお話したいと思います。
開き見せ(あきみせ)とは
開き見せ、または袖開き見せ(fake button holes)とは、ジャケットの袖に閉じたボタンホール(穴かがり)とボタンが3組ないし、4組付いた袖ボタンの仕様を言います。また、ボタンホールがなく飾りボタンだけが縫い付けられた袖を言います。
これまでの一般的なジャケットは(昨今は何を一般として良いかわかりませんが)、袖口にボタンを縫い付けた開き見せ仕様がほとんどでした。
ちなみに、このように少し触れるくらいに重なったボタン仕様のことを「キッスボタン」と言い、ボタンの重なりが大きい仕様を「重ねボタン」と言います。
本切羽(ほんせっぱ)とは
本切羽(surgeon’s cuffs/real button holes)とは、袖にボタンホールと対になったボタンがあり、ボタンで袖を留めたり外したりできる仕様を言います。本開き(ほんあき)とも呼ばれます。
以前はスーツをカスタムメイド(オーダー)した際に、本切羽を依頼することで実現する仕様でしたが、現在は初めから本切羽仕様の既製スーツ(ジャケット)が増えています。
それらは、売り文句としてわざわざ「本切羽(本開き)仕様」と銘打っているはずです。それだけ本切羽は、人気がある袖ボタンのディテールになっているということです。
本切羽仕様のメリット・デメリット
本切羽は縫製などにコストがかかるため、前述した通り一昔前までは、カスタムメイド(オーダー)スーツのオプションにしか存在しませんでした。
そのため、本切羽のスーツを着ることは、スーツをテーラーで仕立てたことをアピールできる絶好の機会でした。まぁ、単なる自己満足ですね。
また、わざと1番外側の端ボタンを外すことでより本切羽をアピールし、さらなる自己満足度を高める着方もされていました(外すボタン数を左右で変えるなどの着方も)。
一方、本切羽仕様にはデメリットもあります。
袖を本切羽にすると、袖丈の調整はボタンホールの間隔でしかできません(アームホールからの調整は難しい)。そのため、本切羽仕様にする場合は、袖丈調整がないことを十分確認しなければいけません。
わたしも以前、ウキウキで譲り受けた本切羽仕様のアルニス(ARNYS)のジャケットの袖丈を無理やり直してもらって、着られなくなった思い出があります……。
また、日本の既製スーツに見られる本切羽は、”価値をつけて売りやすくしている”場合があります。日本人は流行に流されやすい国民性です。近年の本切羽の流行り具合を見る限り、売り手の思惑で本切羽が大いに価値付けされていると感じます。
本切羽の歴史と由来
そもそも、なぜジャケットの袖にはボタンがついているのでしょうか。
もっとも有名な説は、18世紀末にナポレオン率いるフランス軍がロシア侵攻において、寒さのために出る鼻水を袖口で拭いていたことを嫌って、袖にボタンを付けたというもの……。ただしこの説は起源というよりもエピソードの1つでしょう。
なぜなら、それ以前にも衣服の袖にはボタンが付けられることがあり(たとえば14世紀のコタルディなど)、その後貴族が着るコート類にも装飾としてボタンが付けられた歴史があったためです。
また、袖口のボタンの起源とは別に、本切羽の由来にも有名な説があります。
本切羽のことをドクタースタイル(ドクターカフ)と言いますが、その名称は医師が患者を在宅診察する際に、ジャケットを脱がずに袖まくりして診察や手術をできるようにしたためだと言われています。
当時のシャツは下着の認識だったため、医師でも人前でジャケットを脱ぐことは礼を失する行為でした。シャツが下着ではなくドレスシャツと認識されるようになったのは1900年以降です。
元々ヨーロッパではシャツと言えば下着を意味し、現在の下着が登場するまでは今よりも長いシャツテールをボタン留めして下半身を覆っていました。この名残が現在のシャツの形に残っています。そのためシャツ姿は人に見せる必要がない下着姿であり、白無地のみでした。
ところが、1900年代に現在の下着の原型が登場すると、次第にシャツを外着として活用する工夫が施されるようになります。
ただ、ドクタースタイルの説も本切羽の由来というよりは、エピソードに近いお話なのかもしれません。
それより以前、軍服には現在マジックテープで袖口を留めるように、袖口のボタンを留めることで防寒できる機能があったと言います。そのため、スーツの袖ボタンはその名残だという説もあります。
本切羽と開き見せの選び方
さて、本切羽と開き見せの違いはわかりましたが、今後わたしたちが買うスーツは本切羽仕様が良いのでしょうか、それとも開き見せ仕様が良いのでしょうか。
本切羽はイタリアのイメージが強いディテールですが、スーツの本場英国でも一般的なディテールとして浸透しています。
イタリアでは4つの袖ボタンのうち3つを本切羽・1つを開き見せ、英国では2つを本切羽・2つを開き見せにするそうです。また着こなしとして、イタリアは袖ボタンを1-2つ外して着ることに対し、英国では袖ボタンを外さずに着るそうです。
もちろん、イタリアでも袖ボタンを外さない方がおしゃれだという人もいっぱいいます。つまり、本切羽、開き見せには正解はなく、着こなしもお国柄や個人の好みによって分かれるということです。
そこでわたしが提案するのは、既製スーツの場合は開き見せ、カスタムメイド(オーダー)の場合は4つボタンのうち、1つないし2つ残した本切羽の仕様です。
というのも、開き見せは後のリメイクで本切羽にできますが、本切羽は開き見せに変えられないからです(袖を取り替えればできます)。
既製スーツを自分好みにサイズ調整してから、気分によって本切羽にも変えられる方が便利です。後からリメイクする場合も、開き見せのボタンを1-2つ残しておけば、袖丈の調整が可能です。
スーツは国によってシルエットや着こなしが異なるため、トレンド云々ではなく、自分の好みで着こなしを考えた方が楽しめます。もちろん、以前のわたしのように「本切羽至高!」でも良いでしょう。
ただ、本切羽か開き見せかは脇に置いて、まずはスーツ単体の価値を見極めるようにすると、後から後悔しない買い物ができるのではないかと思います。